「因果報」〜どうして「こんな結果になったのか」?〜
私たちが何かを行おうとするとき、何が行いをしようとしているのでしょうか?
それは私たちの心です。
心とは己を守護している「智慧」のことを言います。
つまり、人が有する智慧が、人の身姿を通して行いをし、己が願う結果を得ているということであり、結果は、結果を生じる前に用いる「智慧」がいかなるものかということによって、すでに定められているところが多いのです。
原因があり、結果がある。 智慧があり、行いがある。
これが「因果報」と言われるものです。
水が清ければ、その中に棲む生命も浄化されるものです。
結果が悪いということは、行いが悪いのではなく、行いを修める以前の「智慧」が愚かなものであったと自覚するべきです。
「良い結果」にしろ、「悪い結果」にしろ、全て「智慧」が起こしていることなのです。
今、平成の時代を迎えて、漸く煩悩人類は自然環境の破壊、人間の心の崩壊に気づきはじめているように見えます。しかし、日本社会、戦後高度成長期を経て、大いなる成果を得て、今日の経済大国に至っている中で、得るものがあったと目覚める人は多くても、失ったものが大きいことに真実目覚めている人は少ないものです。
人のしあわせが、物では買えない、測れないということを言葉で理解していても、真実目覚めている人は少ないのです。
お金のない人はお金を求め、土地のない人は土地を求め、学歴のない人は学歴を求め、権力のない人は権力を求めて、未だに己が有しないものを餓鬼のごとくむさぼり求めてきました。そして、欲したものを手に入れた後も人の欲は尽きることがなく、求めていたときの心と、手に入れた今の心に、いったいどれほどの違いが生じているか...ということに目覚めなければいけません。
欲と憂いだけが大きくなり、自然や心の崩壊を増幅しはしても、生命(いのち)の豊かさは何も変っていないということです。
この先更に欲を追い求めるならば、必ず日本、世界は崩壊に向かっていきます。
悪しき結果の全ては、私たちの生みの親である「自然の智慧」に反する、「不自然の智慧」から発した「因果報」なのです。
有るからとて、貪(むさぼ)る生命(こころ)起こすことなかれ。
無きからとて、貧(まず)しき生命(こころ)起こすことなかれ。
皆是、自然の然らしむ功徳によるものなり。
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